父親の命日にマック食べた話。
年に1度、「羽目を外して飲んでいい」日を決めています。それが12月21日、父親の命日です。……が、今年はすっかり忘れていました。ずっと予定を確認する度に「12月21日って何かあった気がするけど、なんだっけな……予定入ってないしな~!」と思っていたのですが、そう、父の命日でした。
夜、二子玉川駅を降りた瞬間に気付き「あぁーーーー!今日、年に1度、家でバカみたいに飲んでいい日だった!!わぁ、もう遅い!!」と膝を叩いたものでした。
だって欲しかったんだもの、ハッピーセット。最近のハッピーセットって中身選べないんですね。欲しかったかわいらしい青いネッシーみたいなのが当たってうれしかったです。父よ、ありがとう。
クリスマスの思い出
今でもぼんやりと思い出すのが、クリスマスの日。当時受験生だったわたしは、塾で自習をしていました。トイレに行くタイミングで携帯をチェックすると、母から父が亡くなったというメールが入っていました。突然のこと過ぎて、大泣きできるわけでもなく、ちょっとだけ泣いた。
夜は友達と集合する約束をしていて、何事もなかったかのように過ごした。突然のこと過ぎて、家にまっすぐ帰る気力なんてなかった。大好きな友達といつものようにファミレスで過ごした。
ただ、全部全部終わったあと。
最後に見送ることくらいできたらなぁと、ちょっと思いました。誰のせいでもないし、誰かがしんでしまうことほど悲しいことはないけれど、お葬式すらないというのは不思議で。いたはずの人間がいきなり行方不明みたいにいなくなる。「ここのお墓に入っています」と言われてもにわかに信じがたいものです。
……これだけ書くと暗い話なのですが、そうでもない。
おかげでたいていのことは概ねうまくやれるし、元から強いパッションは更に強化されたし、生きているだけで割とハッピーです。やったね。
~真相が闇な話~
父はだめ人間で、どのくらいだめかって言うと、太宰治から文学の才能と謙虚さを抜いて、陽気にした感じなんですけど、うちでは全てがネタになっています。中でもわたしが好きなエピソードは、引っ越し17回した話とこちら。
亡くなる数か月前、お見舞いに行くと父は病気のせいもあってか、少しボケていました。最初は見舞いに来たわたしと母が分からず、「綺麗なお嬢さんが来たね。」と言い、それはそれは泣けたものです。携帯電話の電池の裏に貼ったプリクラで予習しといてくれよ。
その後話していると、徐々に思い出してきたようなので、ボケチェックのために母が「あなた、子供が何人いるかわかる?」と尋ねました。(正解は4人)
父「………」
父「6人!」
お願いだからそういう分かりにくい、本当かウソか絶妙なラインのボケやめてください。地味に信憑性あって、未だに笑えますから。
どうか来世でも幸せなハッピー野郎として生きてください。娘からのお願いでした。